レポート12:人工知能は人間を超えるのか×酔っ払いの一人対談
人工知能、AIを使ったサービス!が世の中に溢れてきた。
イーロンマスクさんが「まじやばいから規制を作って」といい、
あらゆる製品にAIが組み込まれる。AIを使ったサービスですといえば人が「おお!」となり、その数が増えるのと同じように「そうは言っても人と人とのつながりだから」とAIを嫌う人が増えてくる。
大きく2つの疑問が出てくる。
1つは、そもそも人工知能ってなんなのか。出来上がっているのか。
2つ目は、人と人とのつながりを大事にしている人に、人工知能をお勧めすることは悪いことなのか?
楽しく酔ったついでに、先にこの2つに対する私のつっこみを入れておこーっと。
- なんでもかんでも人工知能って言うなよ!わかりづらいよ!自分たちは人工知能いぇいとかいう割に、新人世代の「やばい(=おいしいの意味、すごいの意味、まずいの意味、やばい状態の意味)」をイマイチとか言うなよ。同じようなもんじゃないかと思う。
- 人と人とのつながりに、人工知能がいるって良いことじゃないか。そんなにも人工知能やインターネットの技術を悪く言うなら、ガスコンロも悪くいいなよ。一生懸命、きりもみとかで手作業で火を起こして、七輪で火を炊いて毎日料理することを称賛しなよと思う。
酔っ払ったついでに、人工知能についてつらつらメモっていきたい。
東大准教授が出してる、「人工知能は人間を超えるのか」を題材にあれこれ書いちゃおう。
2015年、人工知能は厳密な定義では「できていない」とされている。人間のように考えられるコンピューターはまだできていない。人間的な一面を真似した技術はできていても、人間になりきれるコンピューターはできていない。
でも、だからと言って技術が止まるわけじゃない。
私たちの脳みそはなぜこんなにハイテクに動くのか、まだ全体像はわかっていない。でも私たちの脳みそは動いていて、世の中を理解して、感情があって、誰かのことを好きになり、誰かのことを嫌いになる。新しいことを次々と考えて、なにかを認識するたびに世界ができる。(本より引用)
でも一つだけわかっていることがある。人間の脳みそってどうやら電気信号らしい。何かを入力すると、計算されて、答えが出てくる、という「計算」で成りたっている。だとしたら、この「計算」が脳みそでも電卓でもできるなら、きっとそれを磨いて把握すれば、人工的に知能を作れる。体はなくても、知能は作れる。それが「人口知能」の始まりとなる。
膨大な数の計算、組み込まれた指示には間違わない正確さ、人間のように「めんどくせぇ、やめよう。」とか、「ちょっとこの数字をよく見せたら私出世するかも」みたいな<欲>を設定されていない学習方法によってどんどん精度が高くなる機会学習は、あっというまに私たちの経験と勘を超えてくる。
まるで経験と勘から作り出された答えのようにそっとサポートする(そっとサポートすることで人が聞く耳を持つことすらも、膨大な数の計算によって編み出される)ことによって、人が知りたかったことを教えてくれる。
「へい、siri」と話しかけたら答えてくれて、開封してないメールがあれば「この人、ずっとこの宛先からくるメール開いてない。必要ないんだな」と思って届かないように設定してくれたり、機械はどんんどん人間に寄ってくる。
でも、それは人間じゃない。
人が最も左右される感情とか、なんだか説明のつかない情とか、人間くさいところは組み込まれない限りその人工知能が持つことはない。
そういう意味で、人工知能だ!きゃー!わーい!みたいに手放しに喜んだって、最初にどう使うかを使う側が決めなきゃ、人工知能はうまく使えない。人の手が、定義が、使う意味が問われている。
でもその一方で、「お客さんがまだその段階じゃないから」と人工知能のことを理解していないというのはすごい脅威になる気がしている。
まだその段階じゃないからと言っている間に、あっという間に歩み寄ってきて別の業者さんから人工知能を用いたサービスを買っている日が来る。
お客さんがその段階じゃないかを決めるのは、提供する側じゃない。
時々は、ちょっと無理にでも、
「あなたがやりたいと思っていることは、あなたが嫌いと思っているインターネットや人工知能のサービスを使わないと実現できませんから!!!」強くお伝えしてでも使ってもらわなきゃいけない、時もある。
サービスを提供する側は、お客さんの理解を置いてきぼりにした1歩先でも、お客さんが今求めている0歩でもなく、その途中の半歩先を提供することにも価値があるからだ。
でも、ある日から突然始まったこの人工知能ブームを理解しようとしたって、
人工知能のことだけを理解するのは難しい。インターネットってなんやねんっていう基礎からわからないと難しように感じている。
グーグルは優しい。「人間が人間らしいことに夢中になれるために、手間になることは機械がやっちゃえばいいんだよ」といろんなことを機械がやってくれるように開発してくれる。
その開発で得られる体験と、自分たちが提供しているサービスに差が開いてしまうと、結局お客さんの満足度って下がってしまう。
そういう意味でその差を解消してくれるような人工知能を使ったサービスってとても大事だと思う。
人と人とのつながりは大事だけど、つながっている人の手元にはスマートフォンがあって、そこにはすごい便利なサービスが溢れてる。
そこに合わせていかなきゃ、大事な大事な人とのつながりも心地よくなくなることも出てくる。
結局オチは見つからなかった。
人と人とのつながりはどうなるのか。
その答えは見つからないけど、求められているかどうかは別としても、その時代は確実にきている。だとしたら、その時代に備えるためにちょっとお客様の求めているものからそれたとしても、提供していく必要があるんじゃないんだろうか。それも見方を変えたら、優しさにつながるんじゃないだろうか。
なんかそんなことを思いました。って書いているうちにチューハイ1本飲みきっちゃったぜ。いぇいいぇい。